「突撃!」「どこへ?」「そのへんで…」

ジリ貧ワインバーオーナー「かめお」の仕事やら日常やら… ワインとお客様が命の僕らにどうか愛(合い)の手を!
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お前がどんなに大きな船になろうとも、他の誰もお前のためには存在しない

お前が他の誰のためにも存在しないように
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女は10から好きになる。
男は1から好きになる。

時間を経て存在出来得るものは愛でも恋でもないという事か。

ただ己を保存する為に人を利用する。
それこそが人が人を欲する全ての正解であり、だからこそ奨励されない。

ダレて行く女。
寄り掛かる男。

真実とはいつも醜く、だからこそ美しいものを求める。

幻想
希望

パンドラの罪は重い。
光と影とは反対ではない。
表と裏は逆ではない。


それらは一体であったり関連していたり…

それを逆にしているのはあなたの視線。


全てはこの世界に存在する現象。
共有するべき同軸上の事柄。


正義と悪もまたしかり。
真実の愛』という言葉がよく耳に障る。


触るのではない。障るのだ。

実に不快である。

映画の宣伝用キャッチや、年端も行かない若者なら兎も角、
成人を迎えて、一つの人格が半ば形成されていてもよさそうな年代の人間から…である。



まず、『』についての定義は人それぞれであろうし、増してや真実なんてものは(ここまでに述べたように)立場によって変わる。

例えば現在、地球にいる成人に共通する『真実』とは…酷く曖昧なものでしかない。


その二つの言葉を組み合わせて出来上がるものは『曖昧なものの定義出来ないもの』といっているに等しい。



自分の中で定義出来ないものを人に求めるのは卑怯だ。
しかし自分で定義が出来ない人に限って『真実の愛』を口にする。

そういった人の『真実の愛』とは、多くの場合

限定された方向への常軌を逸した献身的な行為

を指している。



しかも、自分に対してそれが行使されることを望んでいる。


理解ができない。

自分が出来ない事を他人に求めるのは理不尽だ。
まず、自分が示してからそれを口にして欲しい。

しかし実際に、映画のような行為を履行した人の口からは、その言葉は消える。

現実で行った場合のリスクを体験しているからだ。



つまり…


真実の愛』『本物の恋』を求めていると口にするという人は、
即ち自分はそれが何であるかを知らない。定義が出来ていない人間だと公表してるに等しい。

自分の世界を管理してこその『大人』であろう。

自分達の住む世界を継続させたいのなら、まず自分が大人になって欲しい。
愛の定義も出来ないのに子作りに勤しむのは自殺行為だ。

自分の愛の定義を人に頼むなら、その人に地球上での存在価値はない。
文献を紐解くにしろ、人の話を聞くにしろ、自分なりの答えを見つけるべきだと、僕は思う。

このカテゴリーの最初に挙げた酋長の言葉。
それこそが僕ら人間に与えられた最初で最後のテーマなのではないだろうか。


僕はそう思う。
さてさて…

自由とは…本当の自由とは何か。

先人の言葉を引けば
 『完全なる自由とは無である』、
 『制限があるからこそ、自由を感じることが出来る』
 『幸と不幸とは事象を捕らえたものではなく、捕らえる側の尺度によって決まる』
 『自由を手にする為に争い、結果として得るものは制限である』

…フム。

真理です。 鼻で笑いたい位に。

確かに、毎日三食お腹いっぱい食べてる人にはそれが当たり前でも、
それが出来ない人から見ればうらやましく感じる。
毎月の収入が100万円の人は、今月だけ50万にされれば不満でしょう。
そして、僕らは新しい権利を獲得するために競争し、登り詰める度に制限されて行く。

そう。 自分の当たり前など、限定された状況下での現象に過ぎないのに。
何かを得るために、結局は何かを手放している。

時間、空間、身体、引力、健康、能力、所有物、速度、環境。
それらは、ある程度の加工が出来、しかしほとんどはそれらに合わせて生活せざるを得ないものだ。
そして、それらとは世界を構成する全てと言ってよい。

つまりは『広義の自由は存在しない。しないからこそ求められる』
要約すると、自由を求めるとは無い物ねだりに等しい。

幼少の頃“無い物ねだりをするな”と大人によく言われた。
しかし団塊の世代と云われた彼等は、正に無い物ねだりの世代だったのではないか…

価値観、法律、風習、家族。

あらゆるものに制限され、だからこそ幸せを感じることが出来る。
抑制されるからこそ、開放される瞬間を自由だと感じる。

…感じる。

その方面での狭義の自由なのであろうか。


本当の自由


そう。 そもそも、本当などという言葉は実に曖昧だ。
『真実』でも『真理』でも『現実』でも『実際』でもない。
そしてそのどれでもあり得る。

さて…

これはとんでもない回り道になりそうだ。
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